この稿の記述は「国連を世界連邦体制へ」長掛芳介著・近代文芸社発行の第二章「世界連邦連邦その思想と運動の芽生え」2005/3/12発行に依っている。
・1945年8月の広島・長崎の原爆投下とその後の太平洋戦争の終結は、その直前から平和の秩序の建設に向けて各国で動いていた多くの組織は運動を活発化させた。
・アメリカでは広島の原爆投下ニュースを聞いた数週間の間に、25の世界連邦団体が生まれたという。
・1946年10月、30団体(14か国)がルクセンブルグに集まり「世界連邦政府のための世界運動」を結成し、本部をジュネーブに、この第一回大会を翌1947年8月、モントルーで開催し、14か国から50の団体代表他138名が出席し、運動の組織と方針を討議し、以下のモントルー宣言「われらは、世界連邦政府の樹立によってのみ、人類は永遠に戦争から解放されることができると確信する、このような連邦は、次の六つの原則に基づくものでなければならない」が発表された。この運動には後にノーベル物理学賞を得たアインシュタインなども深く関わっていた。
🌍 モントルー宣言の六原則(要約)
1. 世界連邦は全ての民族、国家に向かって開放される。
2. 世界的問題に関する立法・行政・司法権を世界連邦に移譲する。
3. 世界連邦政府の管轄内にある事柄については、どこの、いかなる個人に対しても直接に世界法を適用する。人権の保障と連邦の安全を脅かすようなあらゆる試みを抑える。
4.世界連邦政府とその構成諸国の安全を保障し得るような超国家軍の創設、国内警察に必要なものを除き、構成各国の軍備を撤廃する。
5.原子力の開発、大量破壊破壊を可能とするような、その他の科学的な発明は世界連邦政府が管理する。
6.租税 と必要な歳入を直接徴収する権利は連邦政府が保有する。
・憲政の神様と称される尾崎行雄が「世界連邦建設に関する決議案」を提出したのは1945年の12月。しかし当時日本国会の議事運営にはマッカーサー司令部の要承認などの事情により不成立に終わった。
アインシュタイン博士・湯川秀樹博士
48年1月3日 朝日新聞にアインシュタインの次のメッセージが掲載された。
「最近の侵略的兵器の発達は歴史上その比を見ない大量殺りくの手段を作り出した。これらの兵器は防衛するよりも、はるかに侵略に適している。それ故に、もし将来戦争の発生を許すならば、人類の大部分が滅ぼされ、都市が打ち壊され、土地そのものさえ害を受けることは疑いの余地がない。このような不幸を防ぐ道は唯一つ、これらの兵器を確実に管理し、従来戦争の突発の原因となったようなあらゆる問題を解決する機関と法的権限をもつ世界政府を樹立することである。このような広範な権限をもつ世界政府の樹立は、すべての国の民衆が次のことを十分に理解したときにのみ可能である。すなわちこれまで民族国家の無制限な主権というものを基礎としてきた諸国民の伝統的な政治思想と気持ちに、これほど適応した、そして安い逃げ道は他にないということ、こういう根本的な変化を可能ならしめ、そしてこれを手遅れにならないうちになしとげるためには、全ての国で教育事業を熱心に辛抱強く行う必要がある。」1948年6月にはアインシュタイン博士等と湯川秀樹博士の出会いもあり、原子力爆弾の開発をトルーマン大統領に進言したことを心の傷としていたアインシュタイン博士は、湯川博士に再三「日本の皆さんに申し訳なかった」と述べたとのことであった。
こうしたところにイギリスから来ていた哲学者バートランド・ラッセルも加わってラッセル・アインシュタイン声明が出され、著名な科学者たちが、核戦争の危険性を訴え、科学者が人類の未来に対して責任を持つべきだと呼びかけたカナダでのパグウォッシュ会議に結実した。
・アメリカでは広島での原爆投下ニュースを聞いた数週間の間に、25の世界連邦団体が生まれたという。この年の秋、シカゴ大学総長ロバート・ハッチンスを中心に「世界憲法起草委員会」が設けられ、二年後にこの世界憲法草案(シカゴ草案)が発表された。
・日本では1945年八月十五日に終戦の詔勅。その後に東久邇内閣が発足。東久邇はキリスト教徒社会運動家賀川豊彦の助力を得て有志を首相官邸に招き、「財団法人国際平和協会」の創立総会を開く。同協会の役員には、徳川義親(尾張徳川家の第19代当主、文人、貴族院議員)、田中耕太郎(初代の最高裁判所長官)、河上丈太郎(後の日本社会党の指導者)などが含まれていた。このグループとは別に、徳川義親を総裁とする財団法人「恒久平和研究所」が設立された。この基金は総裁と法学者の藤田勇(法学者)の寄付に依っていた。
宗教界・その他の動き
1947年5月全日本宗教平和会議が東京・築地本願寺で開催された。神・佛・基督各宗派教団の首脳が集まり、国家への忠誠を人類への忠誠に切り替えことによってのみ、戦争は防止できる。人類平等の宗教的精神に立って、政治も外交も行わなければならない、それは、とりもなおさず制度として世界連邦を実現することである。戦勝国も敗戦国も一つになって世界国家建設に努力するように導くことこそが、宗教者の果たすべき平和への任務であるとされた。1948年8月6日の広島原爆の日には総裁尾崎行雄、副総裁賀川豊彦の世界連邦建設同盟が設立され、これにより運動はますます活発化し、1950年10月には京都府の綾部市が日本でが初めての「世界連邦平和都市宣言」を行い、これ以降多くの市あるいは都府県でこの宣言が行われることとなった。
