World Parliamentの翻訳本の出版

"A World Parliament"の日本語版が、明石書店から3月末に出版された。世界連邦運動の教科書といっていい。日本に類書はない。副題は「21世紀の統治と民主主義」。本書は、地球と人類社会が 21 世紀に存続し得るか、という問題意識を背景に書かれた英語版の日本語訳である。原本の著者は、ドイツ人のヨー・ライネンとアンドレアス・ブメルの二人。ライネン氏 は欧州議会議員として、ブメル氏は NGO の「国境なき民主主義(Democracy Without Border) 」の理事長とし て、世界議会の実現に向けて実践的な活動を行なってきている。本書を読むと、著者 の熱い想いが感じられる。気候変動、核戦争の脅威、パンデミック等のグローバルな課題が次第に実体的な脅威として迫りつつある現状を浮き彫りにする一方、国連など現在の国際機関では、これらの課題を克服できないと断じている。ではどうするか? 現在の国際体制を飛躍的に変革する必要があるのは明らかであるが、その変革の目指す方向は、世界議会の設立 と世界連邦共和国の実現にあると論じている。

今日、八月一五日は敗戦記念日、戦争の馬鹿らしさ、平和のありがたさをつくづく感じさせる日ですね。日本の戦没者は300万人を超えているのだそうです。不本意に死ぬというのは、最悪の不幸せですね。今は世界中で内戦とか戦争だらけですね。不幸な人が沢山存在するという世界の情勢、是非好転して平和となり、それが長く続くようになって欲しいですね。

我々の翻訳本「世界議会」の第一部は世界連邦主義の歴史を扱っています。十八世紀の有名な哲学者イマヌエル・カントについて、こう書いてあります。(以下同本37頁からの引用)

1795年に書かれた彼の有名な論文『永遠の平和』の中で、キリスト教の万人救済論者の立場からカントは、自然状態(以下横江の注:国家や法、制度が存在しない状態;ホッブスの万人の万人に対する闘争;ロックの自由平等だが権利保護が不十分;ルソーの文明による堕落後の状態)つまり人間が本来の姿で生きているとされる仮想的な状態)は市民の規約の三要素、即ち、国家の内部の市民権、国家間の国際法そして国際的な権利が組み合わされる場合にのみ克服され得る、その場合には、「個人と国家が(中略)一つの世界国家(jus cosmopoliticum)の市民と見なされよう」と書いている。同様に、カントの世界共和国の概念は決して国家を廃止するものではなく、むしろ国家を上位の世界の法的秩序の構成員、即ち「市民」としている。

しかしながら、カントはいくつかの様々な障害があることを認識していた。それらの障害が意味するのは、戦争状態を克服するための三つの要素をもってしても、理想的な「諸民族の国家」はすぐに設立できるのではなく、手順を踏んで、「漸進的な改革」による「継続的なアプローチ」のによってのみ、設立することが可能であるということである。一つには、カントは「国家連合をあまりに広大な領域にまで拡大するとその統治は(中略)最終的には不可能となるに違いない」と確信していた。他方で、彼は多くの国家がまだ独裁的な国家であるとして専制政治の潜在的危険性について触れていた。しかし決定的なことは彼の時代では支配者である国家は共通の共和制の「諸民族の国家」の設立のために、国際的な「自然状態」を放棄する準備はできていないとの彼の判断であった。従って、最初の現実的なステップとして、そして唯一の可能性として、諸国家の連邦のみが彼にとって論ずべき問題となった。「国家にとって、その国家間の相互の関係において、理性に従えば、やむことのない戦争を意味するあの無法状態から脱する方法は、各個人がまさにそうしたように、その野蛮な無法の自由を放棄し、公法の強制に従う他にあり得ない。かくて、国家は複数の国家からなる一つの国家(civitas gentium)を形成することが可能となり、それはまた、次第に拡大し、最終的には、地球上の全ての国民を包含するようになる。国家は、しかしながら、国際公法の国家の理解に従って、一つの国家を望むことはないので、理論的には正しいことでも、仮説としては、これを否定する。これゆえに、世界共和国という前向きな構想ではなくて、その全てが失われないとしても、その唯一の代替物である、戦争を回避し、その基盤を維持し、かつはるか世界中に拡大する連邦制がこの戦争へ向かう傾向と法の支配からしり込みする流れをとめるかもしれない。然しその時でさえもこの戦争への傾向が突発する危険な常にあるであろう。」

 

 

 

 

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