純粋理性批判他の三批判書で、当時の哲学の基礎を再構築したと評価されている大哲学者カントの、永遠平和の実現の条件に関する彼の言葉を、このサイトの訪問者と共有したいと思います。

19世紀の偉大な東プロシャの哲学者は「永遠平和のために」という政治哲学の小著を書きました。集英社発行の「永遠平和のために」という池内先生の翻訳による翻訳書から、引用いたします。

「・平和というのは、すべての敵意が終わった状態をさしている。戦争状態とは、武力によって正義を主張するという悲しむべき非常手段にすぎない。

・常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである

・国家は所有物でも財産でもない。国家は一つの人間社会であって、みずからで支配し、自らで運営する。みずからが幹であり、みずからの根をもっている。

・いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない。

・内部抗争がまだ決着を見ていないのに、よそから干渉するのは、国家の権利を侵害している。その国の国民は病んだ内部と闘っているだけで、よその国に依存しているわけではないからだ。

・殺したり、殺されたりするための用に人をあてるのは、人間を単なる機械あるいは道具として他人(国家)の手にゆだねることであって、人格にもとづく人間性の権利と一致しない。

・国の軍隊を、共通の敵でもない別の国を攻撃するため他の国に貸すなどということはあってはならない。悲しいことに、どちらに正義があるかを決定するのは、戦争の結果でしかない。

・殲滅戦にあっては、交戦国がともに殲滅され、それとともにすべての正義も消滅するから、永遠平和はようやく巨大な墓地の上に実現する。だからこそ、このような戦争は、戦争に導く手段もろともに、いっさい許されてはならない。

・国民が期間を定め、自発的に武器をもって訓練し、みずから、また祖国を他国からのこうげきにそなえることは、常備軍の廃止とは別のことである。

・行動派を自称する政治家は、、過ちを犯して国民を絶望の淵に追いやっても、責任は転嫁する。

・対外紛争のために国債を発行してはならない。借款によって戦争を起こす気安さ、また権力者に生来そなわった戦争好き、この二つが結びつくとき、永遠の平和にとって最大の障害となる。

・戦争それ自体は、とりたてて特殊な動因を必要としない。名誉心に鼓舞されて戦争は起きる。

・現実主義者によれば、人間の本性からして、永遠の平和を求めたりしない。人間の(こればかりは根絶できぬ)無節操。

・厳密にいうと民主制は必然的に専制になる。というのは民主制の行政権のもとでは、一人(同意しない者)がいても全員の賛同と等しく、その結果として、全員の賛同と等しく、その結果として、全員が決めていくことになる。

・隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって実は「自然な状態」ではない。戦争状態、つまり敵意がむき出しというのではないが、いつも敵意で脅かされているのが「自然な状態」である。だからこそ平和状態を根づかせなくてはならない。

・民族間の関係が放置されると、人間の本性にある邪悪があからさまにあらわれるものである。友好(待遇)というのは、よその国にやってきた外国人が、ただそれだけの理由で敵意をもって扱われることはないという権利である。国家は戦争に向けてよりも、高貴な平和を促進するために合同を求める。

・ひるがえって地球上の文明国を眺めてみよう。礼儀をそなえ、誇らかに商業にいそしむ国々が、いかに非友好的であるか。よその土地、よその民族を訪ねるときの不正ときたら(訪問は征服とみなしている)真におそるべきものである。東インドでは商社の支店をもうけるという口実のもとに軍隊を送り込んだ。この点、中国と日本は来訪者をよく見定めて賢明な対処をした。日本は入国をヨーロッパの民のうちの一つであるオランダ人に限り、しかも囚人のように扱って自国民との交わりから閉め出した。

・離れた国同士が友好的な関係を維持し、ひいてはひろく法で結ばれ、人類がついに世界市民となることも可能なことなのだ。

・戦争を起こさないための国家連合こそ国家の自由とも一致する唯一の法的状態である。

・たとえ理性が道徳的立法の最高の力として戦争を断罪し、平和状態をあるべき義務とするに世界市民法の理念はもはや空想や想像の産物ではないだろう。国法や国際法に記されていない法典を補足すれば、国家と民族の権利、公的な人権、ついては永遠の平和をもたらすはずのものになる。そのときはじめて人間は、永遠の平和に向けてたえざる努力をしていると誇ることができるのだ。せよ、民族間の契約がなければ平和状態は確立されず、保障されもしない。そのためにも「平和連合」とでも名づけるような特別の連合がなくてはならない。

・平和条約は一つの戦争を終わらせるだけであるが、平和連合は、あらゆる戦争を永遠に終わらせることをめざしている。

・地球は球体であって、どこまでもはてしなく広がっているわけではなく、かぎられた土地ののなかで人間はたがいに我慢しあわなくてはならない。

・人間愛と、人間の権利への尊厳は、ともに人としての義務である。人間愛が条件つきの義務であるのに対して、人間の権利への尊厳は無条件の義務である。

・永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課された使命である。

米国は、NATO諸国に、日本に、韓国に軍備費予算の増額を求めている。日本も含め、その要求を飲もうとしている。カントはその馬鹿らしさと非倫理性を強く指摘している。我々人類は、それを重く受け止めるべきではないか。