・私は、横江信義と申します。このサイトの管理者です。・昭和17年 1942年生まれの2025年12月現在83歳の老人です。多分数年以内にはこの世とおさらばして、天国又は(こっちには行きたくはありませんが)地獄に行くことでしょう。

・後にこのサイトの別の固定頁で次の著者をご紹介しますが、二人のドイツ人、ヨー・ライネンさんとアンドレアス・ブメルさんが書いた「世界議会」という英語の本を、僕の母校、 国際基督教大学時代の友人達6人でコロナの年を挟んだ約5年(19年から25年)掛けて共同して翻訳しました。我々の日本語版本は、2025年3月末に東京湯島の明石書店から出版されました。
・私は、その本の「世界議会A World Parliamentが必要だ」という主張に強く賛同しています。そして世界の全ての国が世界連邦を作ることに合意をする日がくることを切望しております。
・今、ヨーロッパもアメリカやロシアも中国やインドや豪州も、またわが日本を含め、多くの国が、無数の人が飢餓や病気や、貧困に悩み、内戦や戦争で命を失っていき、苦しんでいる中で、国家予算で軍備の充実により多くの経済資源を投入しようとしています。全く馬鹿らしい動きだと思っております。僕は、世界から核兵器も、通常兵器も撤廃し、各国の持てる貯蓄などの経済資源は人々の幸福度の向上のために使うべきだと強く思っております。・銀河鉄道を書いた、コスモポリタン詩人宮沢賢治の精神が大好きです。・そして18世紀の旧プロシャの大哲学者イマニュエル・カントのいう世界連邦化を通ずる世界の永遠の平和の実現を望んでおります。
・多くの日本人が我々の翻訳本世界議会をじっくり読んでくれて、世界議会を作るべしとの原本の著者二人ヨー・ライネンさんとアンドレアス・ブメルさんの主張に賛成をしてほしいと強く願っています。主権者である我々全人類による選挙で選ばれて世界議会の議場に来る議員さん達の集まりである世界議会だけが武力の行使を禁止できます。地球外からの地球攻撃が為される可能性がない限り、各国の核兵器と通常兵器の全廃をするという政策とその政策の実行にかかる予算を決定し、そして各国がこの政策を実行することを強制することができます。地球温暖化対策も、全国家において実施すべきことを決定できます。世界第二位のCO2排出国のアメリカが、「地球温暖化はフェイクニュースだ。その対策にアメリカの予算を使うのはアメリカの国益に反するから、パリ協定から抜ける」と言っても、そうはいきません。それを規定する世界法が立法されます。世界通貨を発行する真の世界銀行も設立されるでしょう。世界景気の安定化を図る経済政策委員会も創設することもできるでしょう。飢餓・食糧不足、水不足、富の偏在も是正できます。Tax Haven租税回避地も禁止できます。要するに地球全体の・地球社会が直面している諸問題を解決する政策を決定できるのです。・我々の翻訳本をお読み頂ければ、皆様も世界議会を作ろうではないかとお思いになると信じます。

・このサイト(サイト、SNS, ホームページ、とか言われますが、サイトという用語を使います)を僕の夢・願いの実現に資するように運営・管理するつもりです。ブログなどの投稿のページには、一緒に翻訳作業をやってくれたICU時代の友人の一人、原田雄一郎さんも助力をしてくれています。
・僕は、ICUを卒業してから、1967年当時の通商産業省MITI 現在の経済産業省METIに入省し、1994年に地球環境担当の大臣官房審議官を約一年務めた後、通産省を退職しました。この約一年間は気候変動に関する政府間パネルIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)の日本代表のひとりとして、第一回のIPCC報告書の作成に参加しました。ICU時代には「宇宙船地球号」を唱えた、アイルランド人の大経済学者Kenneth E. Boulding 教授に1年間  経済学の初歩を教えてもらう機会に恵まれました。素晴らしく誠実な大先生でした。MITI退職後は鉄鋼業界の業界団体社団法人日本鉄鋼連盟で4年、その後九州電力株式会社で10年合計18年民間で働きました。

・通産省在勤中には、2年間アメリカのYale大学院で経済学を学ばせてもらい、同大学院にいるときには、後にノーベル経済学賞を受賞したJosef Stigrits教授の若々しい謦咳に接する機会を得ました。その後日本に帰って福田赳夫、大平正芳の内閣の時の2年間は内閣官房の内閣参事官室に出向しておりました。その後フランス・パリのOECD(経済協力開発機構)事務局の科学技術工業局の(予定されていた局長の赴任が遅れた間)局長として1年間、その後、次長に戻って2年間計3年間勤務しました。そしてその後MITIに戻り、電気機器課長、原子力発電課長を務めた後、日本貿易振興会JETROの企画部長を務め、その後米・英の連合軍がイラクのサダム・フセインを攻撃した時を含め、IEA(国際エネルギ―機関)事務局石油緊急時対応局の局長として再び3年間出向/派遣され、いわゆる国際公務員として計6年間働きました。

・三年ほど前に一般社団法人世界連邦運動協会WFM‐JAPANの会員の一人となりました。